機動戦士ガンダム 「蒼き天地を翔けて」
〜もう一つの一年戦争〜


第一部  「開戦」


第三章



5月4日 早朝 久米島沖

 南西諸島の島々で構成された琉球州の海の玄関口・那覇港は、三日ほど前から多数の海上自衛隊の護衛艦で埋め尽くされていた。
 湾内に三つ設けられたふ頭は、第一次防衛線構築のために集結した南西方面艦隊の主要艦船でひしめきあっており、周辺警戒に駆り出されているイージス艦や航空護衛艦、港からあふれた艦船は、周辺の避難港や洋上で停泊している有様である。
 周辺警戒に駆り出されているうちの一隻、航空護衛艦[わかさ]も、第一次防衛線の最前線・久米島の沖合で、索敵行動を兼ねた洋上訓練を行っていた。
『バカヤロウ! どこ見て降りてんだっ、このヘタクソ! もう一回やり直せっ!!』
 どしん、と鈍い音が艦を左舷側に傾かせると、この訓練の総指揮を担当する第六遊撃飛行隊司令・宮野 泰(みやの やすし)一等空佐の怒声が、南国の日差しが降り注ぐ琉球の海に轟いた。

『ひぇ〜 もうカンベンしてくださいよぉ』
 [わかさ]のコントロールタワーに、着艦の下手さでは日本一有名な“ブルーウィングス”二番機、難波の泣き言が響いた。
「ヘタレ口叩く暇があるなら、一度でもまともな着艦をやってみせろっ!」
 さんざん怒声を浴びせた次は、カタパルトへ機体を移動させる難波機を睨みつけながら、難波の犯したミスをことごとく追及していく。
 横で怒鳴り声を渋面で聞いていた瀬川は、その様子を見てこころもち渋面を緩めた。
「すみません、二佐。 いつものように叱りつけてしまって」
 雨あられと小言を降り注ぎ、離艦していく難波機を見送ると、宮野は傍らの存在に気づき、慌てて頭を下げた。
 階級では立場が上でも、相手は一回り以上の年齢差のある、前戦争からの大先輩。 さっきの威勢はとうに立ち消え、宮野はすっかり委縮してしまった。
「いや、こちらこそお恥ずかしいものを見せて申し訳ありません。 一佐の貴重なご指導をいただけて感謝していました」
 対する瀬川はあくまで丁寧に言葉を返した。
 ここは実力第一主義の特務航空集団、年齢や階級には寛容なお家柄とはいえ、それに合わせて姿勢を変えるつもりは瀬川にはない。
 まして、相手は前戦争で“空の荒神”と称された英雄。年下でも同じ戦場で戦ったパイロットとして、むしろ尊敬する気持ちの方が強かった。
「そういっていただけると助かります」
 宮野がもう一度頭を下げると、コントロールルームに艦内放送が響いた。
『艦長より達する。 現時刻を持って訓練中止、第二種警戒配置に移行。 飛行隊指揮官および幹部自衛官はブリッジへ。 以上』
 艦内が「ざわっ」とざわめいた。
『よっしゃ! これで着艦訓練も終わりですね!?』
 訓練中止の報に喜ぶ難波であったが、上空から厳しい宣告が告げられる。
『次、ミスったら、お前だけ腕立て・腹筋・スクワット五百回×五セットと艦内特別マラソン五百周な』
 “ブルーウィングス”隊長の言葉に、『そんな殺生な〜』と難波の呻き。そこに瀬川が押しかぶせた。
「後がつかえているんだ。難波は呼ばれてないから、一番最後に降りろ。失敗したら、俺がつきっきりで面倒見てやるから安心しろ」
 『カンベンしてくださいよ〜』と通信機に泣きつく難波をしり目に、宮野が気を取り直して話を戻す。
「どういうことでしょうか。 訓練はともかく警戒配置とは・・・・・・」
「決していいことではなさそうですな」
 瀬川に目で頷いた宮野は、「後、頼みます」と言い残し、足早にブリッジへと赴いた。

 一時間後、ブリッジでもたらされた天の声に、その場に居合わせた全員が凍りついた。


5月4日 一〇三五 石垣島

「はぁっ、はぁっ」
 三日三晩続いた爆撃の煙と塵芥で薄暗い道路を、一人の小柄な迷彩服が息を切らせて駆け抜けていく。
 道路には炸裂した爆弾によるクレーターがあちこちに刻まれ、対空機銃座だった建物は、残らず瓦礫の山と化している。
 数日前までは島随一の繁華街だった街並みは、唯一駆け抜ける人影以外、人の気配はなく、静かに砂ぼこりが舞うのみ。
 やがて交差点に差し掛かると、荒い息のまま肩にかけた小銃の感触を確かめ、そっと辺りをうかがう。
 方々に視線を飛ばし、覚悟を決めるような深呼吸ひとつして駆け出そうとしたその時、腹の底から人を揺さぶる地響きが静寂を打ち破った。
「!?」
 地響きに首をすくめ、無駄を知りつつその方向に銃を構える。
 交差点の左手、海へ続く道には、乗り捨てられた乗用車以外は何も見当たらない。
 が、砂ぼこりにけむる道の先から、確実に何かが接近していた。
 ひとつ、ふたつ、地響きが近づいてくる。整った顔立ちに本能的な恐怖の色が浮かぶが、その足は金縛りの如く動かない。
 ひときわ大きな地響きが身体を揺さぶると、それが砂ぼこりの霧の向こうにその巨大なシルエットを現した。
全体的に丸みを帯びた鎧をまとう人型のロボット兵器が、隣のビルを超える高さにある、大きな一つ目をきらめかす。
「・・・・・・っ」
 まんまるく光る赤い目に魅入られたのも一瞬、舌打ちとともに体を取り戻した迷彩服は、一目散に元来た道を引き返した。
 駆けだしてまもなく、思いついたように後ろに背負う馬鹿でかい背嚢(はいのう)に手を伸ばし、らせん状のコードで無線機につながっているレシーバーを口元に引き寄せた。
「こちら三二一(第六四野戦特科中隊第二小隊第一分隊)。E-9エリアにて“一つ目”発見っ。 敵、北方向へ進行中、支援部隊の連絡請う!」
 高く透き通った声で一息に吹き込むと、耳障りな雑音しか聞こえないイヤホンに流れるはずの返事を聞く余裕もなく、“一つ目”が進む道から一筋入った狭い路地に滑り込んだ。
 薄暗い場末の路地をひた走り、やがて表通りに面する商店の裏手にたどり着くと、コンクリートで塗り固められた無機質な壁にもたれかかり、ずるずると腰を落とした。
 たちまち汗の噴き出た顔を天に向け息を荒げるその顔は、見る者がハッとするほどに美しい顔立ちをしていた。
 本土用とは微妙に異なる南方仕様の迷彩服に身を包み、ヘッドセット付きの鉄帽(テッパチ)をかぶった姿は、どこからどう見ても陸上自衛隊の自衛官であり、それゆえなおのこと、“美少女”と呼ぶのがふさわしい顔は際立って見える。
「ずいぶん息が荒いじゃねぇか、相沢」
 突如かけられた声にビクッと肩をすくめた自衛官――相沢紗希(あいざわ さき)一等陸士は、恐る恐る教えられたとおりに銃口を声の方に向ける。
 が、向けかけた銃口は声の方向からの手によって、その動きを止められた。
「よしよし、ようやくわかってきたな」
 顔からの連想で“鬼瓦”とひそかにあだ名されている陸曹長の、滅多に見せない笑顔がそこにあった。
なぜさっき気付かなかったのか不思議なほど、“鬼瓦”曹長は紗希のすぐ隣で、同じように壁にもたれて座っていた。
 物音聞けば、顔より先に銃を向けろ ――
 口癖のように発せられるその言葉は、戦場で生き残るための“戦陣訓”として、性別を問わない鉄拳制裁によって叩き込まれたものだ。
 怖い印象しかない人に初めて褒められた・・・・・・緊張で引き締まった彼女の顔が一瞬緩む。
「小隊長はどうした? まさか、配属二ヶ月で分隊長になったわけでもあるまい」
 微笑したのもつかの間、負ってまもない傷口を真っ正直にえぐられ、紗希の顔が凍りつく。
「っ、すまない」
 その表情で何か悟った曹長は、舌打ちして申し訳なさげに目を伏せた。
「わ、私を・・・・・・かばって・・・・・・」
 涙声で言いかけた紗希の肩に、ポンッとやさしく手がのせられた。
「もういい。 わかったから、泣くな」
 はい、と答えた涙声は、背後からの地響きにかき消された。
「!?」
 二人揃って首をすくめると、遠く南の方角から二、三台の戦車のキャタピラ音が聞こえてきた。
「通り過ぎるどころか、後続を呼びやがったか。相沢、」
 袖で涙をぬぐっていた紗希が慌てて顔を上げると、真剣で真っすぐな視線が目を貫いた。
「後ろの“ヤツ”の報告はしたよな」
 こくっ、とうなずいたものの、紗希は不安そうに言葉を続けた。
「ただ、粒子濃度がひどくて、応答はまだ・・・・・・」
「まったく、厄介な敵だ」
 文字通り“鬼瓦”のごとく顔をしかめた曹長は、脇腹を押えながら「よっこいしょ」と体を動かした。
 曹長が座っていたあとには、尋常じゃない量の血だまりができていた。
「曹長っ・・・むぐ・・・」
 紗希があげかけた悲鳴を、曹長が手と指で抑え込む。
「大丈夫だ。弾は貫通してるし、すでに止血もした。それより、」
 曹長が泳がせた視線を追って、紗希が「あっ」とばかりに目を見開く。
「そこの蓋から地下溝に潜れ。見つかって無けりゃ、有線が通じるはずだ」
 口を押さえる手を振りほどき、紗希は曹長の目を見つめた。その目に揺らぎはない。
 おびただしい流血、動きの鈍さ、荒い息遣い。視線は鋭くても曹長が危険な状態にあるのが、紗希には手に取るようにわかる。
 でも、ここで連絡を怠れば、味方部隊の到着を待たずにこの島の駐留部隊が全滅する恐れもある。紗希は覚悟を決めた。
「はいっ」
 通信機器を詰め込んだ馬鹿でかい背嚢をいったん背負いなおして、血だまりを避けて満身の力でマンホールを開けると、人一人が入れる穴の底に、幾つものパイプが走っているのが見えた。
 先に背嚢を下におろし、ついで地下溝に潜り込むと、ほどなくしてかすかに光る整備用の小型端末を見つけた。
 キーパネルを開き、何度かパスワードを打ち込むと、画面に市街地に張り巡らされた光ファイバー網が表示された。そして、そのほとんどが正常を示す青色の光を発していた。
「相沢、どうだ?」
 タイミングを見計らっていたように、頭上から曹長の声が降ってくる。苦しさを無理に殺すような息遣いが、紗希の心を締め付ける。
「まだ生きています!」
 ともすれば曹長の怪我の具合に気を向けそうになる自分を叱咤しながら、背嚢に搭載された通信装置と小型端末の接続を行う。
 接続確認を示す青いランプを確認し、息を整えてからレシーバーに声を吹き込んだ。
「こちら三二一。E-9エリアで“一つ目”と遭遇。敵、北方向へ進行中、要撃部隊の支援を要請する。 繰り返す・・・・・・」
 落ち着いた声で繰り返したあと、すぐに待ちに待った応答が返ってきた。
『三二一、聞こえるか。こちら一三一・〇一、現在E-4エリアで待機中。詳報送れ』
「やった!」
 紗希は小声で歓声をあげた。後ろを振り向くと、曹長が大きくうなずいていた。
「敵は機動兵器一、戦闘車両三、その他は確認できていません。そちらからは確認できますか?」
 通信相手のいるE-4エリア(バンナ岳)は、ここからおよそ3km弱。敵機動兵器は周囲の商店に対し、ちょっとしたビル並みの高さがある。晴天時なら目視でも確認できるはずだが・・・・・・
『砂ぼこりで確認できない。粒子濃度が高くて、レーダーもオシャカだ。赤外線なら・・・・・・かろうじて確認できる』
 通信相手の悲痛な言葉が終わると、紗希は頭を小突かれた。
 見上げると、曹長が「レシーバー寄越せ」と手で合図を送った。
「あーこちら、三二一の分隊長。赤外線ならわかるんですな」
 通信内容から相手を士官とみた曹長が、稀に聴く丁寧語で簡潔な言葉を吹き込んだ。
『あぁ。ただ、距離がありすぎて、周囲との違いがほとんど分からないが』
 年長の下士官と悟ったのか、相手もどこか安心したような声音になる。
「たしか、赤外線というのは、周囲より高い温度なら、その物体がよりはっきりと確認できるんでしたな」
 曹長が知識の奥底から単語を引っ張り出すように、慎重に言葉を紡いだ。
『はい。それが、なにか?』
 質問の真意を図りかねた声色に、曹長がニヤリと口元をゆがめた。
「実は、こちらには手っ取り早いものがございましてな・・・・・・」



 それから数十分後。
 第二小隊の生き残りの紗希と曹長は、敵発見位置から約1.5km北にある、4階建ての建物の屋上で先ほど組み立てられた作戦の準備を急ピッチで進めていた。
「曹長、ホントにこんな作戦で倒せるのでしょうか?」
 紗希は、階下から引っ張ってきた民間のネット回線と地下を走る自衛隊用の光ファイバーとを同期させる作業をしながら、隣の曹長を振り返った。
「知るか。だが、何もしないよりましだろ」
 同じく砲架代わりに階下から持ってきたデスクに、56式84mm無反動砲を立て掛けた曹長は、腹部の傷も忘れて準備に勤しんでいた。

 おそらくこのまま北上してくるであろう敵部隊を待ち伏せ、テルミット系焼夷榴弾をお見舞いしたところを狙って、78試式狙撃銃での長距離狙撃を敢行する二段構えの作戦である。
 摂氏3000度に達する高温で燃える焼夷榴弾も、新型機動兵器の装甲の前には歯が立たない目眩ましに過ぎないが、今回はこの目眩ましが作戦の重要なカギだ。

 突然鳴った『ピー』という間の抜けた音に、紗希の思考は一瞬にして消し飛んだ。
「通信回線準備よし、音響センサによると、まだ南1km地点にとどまっているようです。かなり地雷に慎重になってるようですね」
「そのためにばら撒いたんだが、そろそろ来てもらわなきゃ干からびるぜ。こっちも準備よし、だ」
 通信が終わり、いやがる曹長にきっちり応急措置を施したあと、曹長は待ち伏せ場所への機材運び、紗希は対戦車地雷の敷設に奔走した。
 地下溝のマンホールに音響センサを設置するとともに、赤外線センサを起爆装置にしたプラスティック爆弾を敷設し、その周囲の路上にも同じものをばら撒いた。
 路上敷設用にアスファルトと同系色に加工したタイプ、デコボコな田舎道で区別するのは至難の業だ ―― 開戦前、使用法を伝授してくれた馴染みの施設科の言葉に嘘はなかったようである。
「三二一、準備よし。 敵、現在地より南500m」
『一三一・〇一、了解。 こっちもいつでも行ける。 支援として一一一(第一機動小隊)を送らせたが、作戦の如何は君らにかかっている。 よろしく頼むぞ』
 狙撃手の言葉に、紗希は自らの重責を改めて思い知った。
 敵にとってはたかだか一機の量産兵器だが、こちらにとっては一機倒すごとに敗北の確率が下がる。それ以上に新型兵器の撃墜は味方部隊の士気を急上昇させる格好の餌だ。
「了解です。そちらも、ご武運を」
『まかせろ。言った限りは外さん』

 通信が切れたのを待ち構えていたように、そっとごつい手が紗希の頭にのせられた。振り向く彼女の目の前に、いつの間にか立ち上がっていた曹長が紗希の64式5.56mm小銃を差し出していた。
「相沢、ご苦労だった。 先に降りて本部に帰還しろ」
 いつもの曹長の冷徹な、しかし優しさのこもった目が紗希を見下ろしていた。
「・・・・・・えっ、・・・・ど、どういう」
「ここでの相沢の仕事は終わった。 あとは、俺の仕事だ」
 紗希の顔は戸惑いの色が濃くなっていく。その口が反発を紡ぎ出す前に、一気にたたみかける。
「第二小隊次席小隊長来島(くるしま)陸曹長が命ずる。 第二小隊野戦通信士相沢紗希一等陸士の任を現時点で解除、敵機動兵器撃墜確認後、本部へ帰還し以後の指示を待て」
 来島曹長の言葉を茫然自失の体で聞いていた紗希は、不意に周囲を揺さぶる爆発音に促され、急いで挙手敬礼での直立不動の姿勢をとった。
「だっ・・・第二小隊相沢一士、復命しました!」
 一気に言いきった紗希の目は、見る見るうちに涙で満たされていく。
「自衛官たるものが泣くな、みっともない。 命令を受けたらさっさと動け!」
 来島の怒声に機動兵器が再び動き出す「ドスンッ」という音が重なった。
「来島・・・・っ・・陸曹長の・・・ご武運をお祈りします」
 その言葉に、四十に手が届きそうな“鬼瓦”曹長の顔にまぶしい笑みが刻まれた。
「まだ死なないから。 生きて待ってろ」
 鈍く光る64式小銃の黒い銃身に、落ちた雫が点々と、さらに黒い染みを作った。



 紗希が地下溝を抜け出し、埃っぽい外へ出たとき、頭上を一筋の青い光が貫いた。
 一瞬のち、すさまじい破砕音と甲高い発射音が南北から、細い紗希の体を叩きのめした。
 しばし続いた音の狂宴の後、とっさに伏せていた体をなんとか起こし、左手に持った携帯モニタで情報を見た後、右手のレシーバーにつぶやいた。
「三二一、一三一、敵機動兵器一機撃墜・・・確認」

 その日、来島曹長が基地本部に帰ってくることはなかった・・・・。