機動戦士ガンダム 「蒼き天地を翔けて」
〜もう一つの一年戦争〜


第一部  「開戦」


間章

夜想



同日 一九三〇 壱岐島北西沖

 日本自治国とジオン公国との間に戦端が開かれてから九時間。
 竹島上空にて敵機動部隊を撃退した第二遊撃飛行隊は、航空機動護衛艦[わかさ]に乗り、早くも次なる作戦にむけて移動を開始していた。
 とはいえ、初戦の勝利の直後のこと。艦内には、どこか戦勝に浮き立った雰囲気が漂っている。
「では、当直のため、失礼いたします」
「うむ、ご苦労。あいつらにも、ほどほどにしておくように言っといてくれ」
 神島司令不在の時の指揮官を務める瀬川副司令が、口元をニヤつかせながら答えた。
 広い作戦会議室には他に、[わかさ]の艦長・霧島義勝(きりしま よしかつ)二等海佐や航海長の嶋野 拓(しまの ひらく)一等海尉などが腰をすえて談笑している。
「はい。ついでに明日のことも言っておきましょう」
「あぁ、頼んだぞ」
 作戦会議室の重厚なドアの前で敬礼した後、廊下に出た高橋は、ふぅ、とため息を吐いた。
 竹島での戦闘に決着がついたのが午前11時30分。竹島防空陣地と連絡を取りつつ周辺の哨戒飛行を40分続けた後、ようやく到着した[わかさ]に着艦。整備士と共に搭乗機の整備を行い、息つく暇なく西日本作戦司令部から次の作戦を受領。 作戦会議までのわずかな時間に報告書を纏め、戦勝・初陣祝いに酒保へ向かう難波たちを尻目に、艦長以下[わかさ]の首脳陣も交えた、戦闘報告と夕食を兼ねた作戦会議がようやく終わったところだ。
 スクランブル出撃に久々の実戦の直後だというのに、これから当直任務に赴かねばならないわが身に、高橋は不運を感じずにはいられない。

 作戦会議室のある右舷側の第二艦橋から、いったん真下の第一甲板へ降り、左舷側の格納庫で整備士をねぎらった後、右舷の第三甲板に当たる飛行隊居住区の酒保に着く頃には、すでに当直任務が15分後に迫っていた。
 いちおう周囲に配慮してか、ドアは閉めてあったが、余程盛り上がっているのか、にぎやかな声が廊下にも響いていた。
「お〜、たかはしぃ、おわったんか〜。おまえものめや〜」
 もともと強くない酒を調子に乗って飲んだのか、呂律の怪しい難波が、赤く上気した顔をこちらに向けてふにゃふにゃと手を振った。
「アホ。これから当直だ。お前もその辺にしとけよ」
「だぁ〜いじょうぶやって〜」
 ・・・・・・全然大丈夫そうに見えない。
 手前のソファには、難波に無理やり肩を組まされながら缶ビールを飲む補欠パイロットの御崎崇史(みさき たかし)と隣で佳織が缶チューハイ片手に楽しそうに話しており、奥のカウンター席で平気な顔して一升瓶をあおる上野の横で、竹川がウイスキーをちびちびやっている。
 作戦行動中とはいえ、現在は領海内を航行しているのもあって、艦内は半舷休息、無傷で敵部隊に完勝した飛行隊の面々には、特別に飲酒が許可され、戦勝に酔っているといった光景だ。
「御崎、ほかはどうした?」
 見た感じ、一番まともそうな御崎に声をかけてみた。
 呼ばれた御崎は、すでにヘロヘロな難波の腕を遠慮なく脇に除けた。支えを失い、寝息とともにソファに倒れこむ難波。みっともない。
 御崎も第二遊撃飛行隊所属のパイロットだが、とある事情と確かな整備技術により、[わかさ]での航空機整備に従事しつつ瀬川の代わりとして零号機のパイロットも務める、ある意味第二飛行隊で最も忙しい人物といえる。
「香奈さんは一時間前から当直管制に出てます。夏美さんも先に当直に出られたみたいですね」
 いいながら立ち上がった御崎は、グッと背伸びをした。
「あれっ、もう終わりなんですか。まだ一時間しか経ってないのに」
 いかにも残念そうな佳織の言葉に、御崎はさわやかに振り返った。
「明日も早いからね。佳織さんもほどほどにしといたほうがいいですよ」
「そうそう、明日の朝は佐世保に寄港、第二飛行隊本部要員と、鹿屋特空(第四飛行隊)・岩国特空(第六飛行隊)が合流することになっている。今夜はあまり調子に乗るなよ」
 御崎の後に続いて釘を刺しておく。
 難波や佳織はともかく、奥の酒豪コンビは放っておくと、いつまでも飲んでいるから困る。(そのくせ翌日も平気な顔をしている)
「あ、御崎、ついでにそのへべれけも部屋に放り込んでおけ。そのまま寝て風邪を引かれても困る」
「了解です。 隊長もなんだかんだで心配なんですね、難波さんが」
 よっこいしょ、と難波を背負いながら笑いかけてくる御崎。
そこまでさわやかに言われると否定しようにもしづらい。
 肯定も否定もせず、佳織に顔を向けて御崎への返事にする。
「と・・・・・・佳織、格納庫で整備班長が呼んでたぞ。たいした用じゃないとは思うが今のうちに行っとけ」
「あ、はいっ」
 一人残され寂しげな佳織は、途端嬉しそうに顔を輝かせてぴょこんと立ち上がり高橋の後についてきた。

「今日は悪かったな。その、初陣扱いして」
「えっ、わかってて言ったんですか」
 横に並んで歩く佳織がすこしむくれる。危険な空気に高橋はあわてて修正に入る。
「いや、あのあと橘に訂正されてな。ほら、こないだの領空侵犯のときは司令部(西日本作戦司令部)行ってて詳しく知らなかったし」
「え〜、そうでしたっけ?」
 多少和らいだが、まだ口調と視線はキツイ。内心の冷や汗を押し隠し、極力真面目な顔で言い返す。
「ま、初心忘れるべからず、だ。慣れを感じず、常に初陣のつもりでやってればやられはしないさ」
「・・・・・・そういうことにしておきます」
 なにか言いたそうにしながら、最後には佳織も引き下がった。
「では、当直任務、がんばってくださいっ」
「ああ、そっちも早めに休んでおけよ」
「はいっ」
 冷たい視線も一瞬、いつもの溌溂とした笑顔で敬礼し駆け出していく佳織を見送り、高橋はため息をついた。
「これで、残る課題は一つ、か」
 ボソッとつぶやいて、格納庫の艦首側の設けられたパイロット・ルームに足を向けた。

 この航空機動護衛艦[わかさ]の構造は、従来の航空母艦のそれとは一線を画す。
 日本独自のTSL(テクノスーパーライナー)推進方式に基づいて造られたこの艦は、一個大隊相当の航空部隊が運用可能な搭載機数を誇りながら、通常推進艦では追いつけない高速性を兼ね備えていた。 双胴型の船体の第一甲板以下の部分を空洞とし、航行中に空気を送り込むことで、ホバークラフトのように船体を浮上させ、時速150kmを超える高速航行を可能とする。
 船体の大部分が空洞をはじめとした推進機関となっているため、艦橋構造物、飛行甲板、格納庫、居住区等、すべて本来の露天甲板である第一甲板上に造られており、遠くから見れば第二次世界大戦の旧帝国海軍の空母のようなシルエットをしていた。

 そんな、世界的にも特殊な構造の艦の中で、パイロット・ルームは飛行甲板の真下、なかば艦首からせり出すように存在していた。
 佳織と別れた高橋は、誰もいない格納庫の最も上層にあるパイロット・ルームの前に来ると、特に意識せず静かにドアを開けた。
 天井の低い大ホール並みの広さを持つパイロット・ルームは、全隊合同作戦会議にも使用される大きな部屋を取り囲むように、壁際には各飛行隊用の待機室が設けられている。
 灯火管制下でほのかに明るい室内の一角、第二飛行隊にあてがわれた小部屋のすりガラスから電灯が煌々とした明かりを漏らしている。
 そのひとつだけ明るい小部屋に歩み寄ると、ゆったりとしたソファに座り、一見して読書にふけっているように見える橘の姿を認め、高橋は肩を落として大きなため息をついた。
 どうやら本を開いたまま眠りに落ちたらしい橘は、眠りが浅いのか、頭をコクリコクリとゆらしながら、意外とかわいらしい寝顔を見せていた。
 高度30,000フィート(約9,000m)での戦闘もままある戦闘機パイロットとしては珍しい、透き通るような白い肌がまぶしい。
 やれやれと首を振った高橋は、不意に湧き上がる笑みをかみ殺しながら眠る橘の前に立ち、やおら腰に手を当て声を張り上げた。
「橘三尉っ、何をしておるかァッ!!!!」
 頭上から振り下ろされた大音声に、橘は体をビクッと波打たせた瞬間、手に持った本を床に投げ捨ててビシッと直立不動の姿勢をとり、反射的に声を張り上げた。
「申し訳ありませんでしたっ!!」
 言うが早いか歯を食いしばり、飛んでくる張り手に備えた。・・・・・・が、待てど暮らせど張り手は頬に炸裂せず、代わりになにかを押し殺すような声しか聞こえない。
 不審に感じた橘が、きつく結んだまぶたを恐る恐る開けると、向かいのソファに倒れこんで腹を抱える隊長の姿が目に飛び込む。
 目の前の光景に呆然と立ち尽くしていた橘は、薄目を開けた高橋と目を合わせるとようやく状況を理解したらしく、瞬く間に顔を真っ赤にすると、すとんとソファに腰を落としてうなだれた。
 なおも湧き上がる笑いを咳払いで受け流し、うつむく橘に声をかける。
「よかったな。俺が鬼教官じゃなくて」
 その言葉に、橘はますます顔が赤くなる。
「・・・・・・まったくです」
 ようやく絞り出した声は、任務中と同じ人間とは思えないほどか細い。
「まぁ、初陣で三十分以上敵と交戦して、一時間の対空哨戒、合計二時間以上の飛行を終えて、報告書を提出したら、今度は当直任務だ。居眠りくらいはしたくなるよな」
 高橋はそういうと、なおうつむいたままの橘の前に、スッと紙コップを差し出した。
「半舷休息とはいえ、まだまだ当直任務は長い。それでも飲んで、眠気を吹き飛ばしておけ」
 顔を上げた橘の目線の先に、大きめの紙コップが置かれていた。いつの間に淹れたのか、自販機のインスタントコーヒーがほのかに湯気を立てている。
 つぅっと上目遣いに高橋の顔を見上げ、その目が頷いているのを確かめてから、橘はおずおずと紙コップに手を伸ばした。
「・・・・・・いただきます」
 顔を赤らめながらコーヒーをすする橘を見守り、高橋は部屋の壁にかかっている艦内通信機に歩み寄った。
 胸元のポケットから取り出したIDカードを通信機のカードリーダーに読み取らせ、コンピュータがユーザーである「高橋孝平一等空尉」を認識したのを確認してから、[わかさ]航空管制室との直接通信回線を開く。程なく赤色に点滅していたLEDが消えて青色のLEDが点灯し、回線がつながったことを知らせる。
「こちらパイロット・ルーム、第二遊撃飛行隊高橋一尉。当直任務異常なし。そちらの現在の状況は?」
 カタカタとキーボードを二・三回打つ音の後に、元気な香奈の声がスピーカーから聞こえてくる。
『こちら航空管制室。対空・対艦レーダー、ともに友軍以外の部隊を感知しておらず、異常はありません。先ほど高嶋副長から当直管制官全員にコーヒーが支給されたので、全員居眠りなく当直が行えます』
 若くして[わかさ]の副長として艦の要職に就く高嶋友紀(たかしま ゆき)三等海佐は、これまでに乗艦した艦がすべて航空護衛艦という、航空護衛艦運用のプロフェッショナルだ。
 彼女の行動には階級の差のない周囲への気遣いが感じられ、特に女性が多いオペレータには人気が高い。
「了解だ。領海内とはいえ、今は戦時だ。しっかり頼むぞ」
『了解っ。そちらも、いざという時にはシャレにならないので、寝ないように頑張ってください』

 搭乗員当直は敵の襲来があった際、真っ先に離陸し、当直外の機体が離陸するまでの間、航空護衛艦上空の制空圏の確保と防空戦闘を任務としている。
 艦載機の発進には艦上空の制空圏の確保が必要で、確保できない場合、迎撃機を出すこともままならないまま撃沈される可能性もあり、航空護衛艦運用に欠かせない、最も重要な役割を担っている。
 見つけたのが別の上官なら、橘は有無を言わさず張り倒され、一週間飛行甲板掃除の懲罰か、もしくは営巣入りを食らっていただろう。

「そういえば、」
 通信が終わったあと、ようやく落ち着いたのか、橘がいつも通りのしっかりとした声を上げた。
「戦況はどうなっているのですか?」
「良いようにやられている、といったところか」
 橘の問いに、向かいのソファに座った高橋もコーヒーをすすり、テーブルに置かれたノートパソコンを立ち上げる。 隊員の報告書から作戦会議まで幅広く使用されるノートパソコンが、今日も使用者を待たせること無く瞬時にテーブルに埋め込まれたモニターと画面をリンクさせる。
 右手には茫漠とした暗い海と、黒く澄み切った星空が少し大きめの丸窓を二分している。
「損耗の激しかった竹島防空陣地は、三門あったレールカノン砲のうち二門が大破。残った一門も50%の出力しか出せず、無用の長物と化した」
 テーブルモニターに日本地図が表示され、日本海に浮かぶ孤島、竹島がズームアップされる。
 竹島全土をミノフスキー粒子散布下におき、電波封鎖を行ったジオン軍攻撃隊は、宣戦布告放送を待たずに攻撃。第二飛行隊が駆けつけたときには、既に大半の対空砲が破壊され、使い物にならなくなっていた。
 竹島防空陣地は大気圏外から降下してくるHLVに搭載された敵部隊を掃討するのに最も適した戦略拠点だ。ここを無力化されることは、ジオン軍に戦術・戦略両方において大きなアドバンテージを与えることに直結する。
「松代(自衛隊総司令本部)は残った一門も放置、修復のめどが立つまでは対空レーダー基地とすると決定した。珍しく素早い決断だ。そう、気味が悪いくらいな」
 高橋のどこか含みのある言いかたに、橘は昼間感じた疑問を思い出した。
 宣戦布告直後の統幕会議招集、緊急防衛出動の決定。そして今回の防空基地の放棄。
 まるで、こうなることをあらかじめ予測していたような・・・・・・。
「一一三〇には稚内の海自基地が奇襲攻撃を受けた。敵はそれ以前に旧利尻基地(空自)を占拠したらしく、そこから飛び立った二個中隊規模の攻撃機隊と潜水艦から上陸した六機のモビルスーツに強襲を受け、一時間もしないうちに陥落したらしい」
「稚内が落ちたんですか!? あそこは北日本海防衛の要衝ですよ?」
 あり得ない、と言外ににじませる橘に答えるように、画面は北海道北部に切り替わり、海からの矢印とともに半島の先端が赤く塗りつぶされる。
 稚内基地は陸自や空自も分屯基地を置く日本最北端の基地で、古くからソ連やロシアを仮想敵とみなす上での最前線として位置付けられてきた。
 シベリアやカラフトなどが環境保全区に指定され、ウラジオストク基地以外の基地が廃止された現在でも、海を隔てて国境と接する最前線基地として、精強部隊が多く配属される要塞となっている。
 一般幹部候補生課程時代に稚内の空を飛んだこともある橘には信じられない話で、思わず高橋を問い詰めるような口調になる。
「信じがたいが、事実だ。例の粒子をまき散らしながら、無人の利尻島を占拠し航空拠点を確保し利尻水道から旧天塩地区への上陸強襲作戦を敢行、逃げ道を閉ざされた基地部隊は為す術なく降伏したらしい」
 敵の作戦の概要を語り終わり、高橋は奥歯をかみしめた。本当にいいようにやられている。
 ミノフスキー粒子散布と潜水艦による隠密行動に、他の陸戦兵器を凌駕する機動力や防弾性能・破壊力を持ったモビルスーツでの上陸作戦、スクランブルをかける間もないほどの近距離からの航空攻撃、「小よく大を制す」の理屈で宇宙の覇権を握ったジオン公国軍らしい作戦であろう。
 戦争の最初期に与えてしまった戦略拠点は、今後、北方の自衛隊を大いに苦しめるに違いなかった。
「ジオンは琉球にも侵攻している。すでに西表島、宮古島の基地が陥落し、隊員住民ともども脱出したそうだ」
 再び画面は切り替わり、南西の島々が大写しになる。
 西表島には海自の分遣艦隊、宮古列島の下地島には空自の基地が置かれ、相互に距離があるとはいえ、最南端の防衛線を構築している。
 そして大きな三島のうち、二島が禍々しい赤色で塗りつぶされていた。
「ただ唯一、石垣島の陸上自衛隊が住民を避難させたうえで、いまなお徹底抗戦中だ」
 三島のうち、中央の大きな島――石垣島のみの画面に切り替わる。
「通信が途絶されているため、詳しい情報はわからないが、ここの駐留部隊は陸自の特殊部隊で、上陸した敵部隊に真正面から互角の戦いを繰り広げているらしい」
「例のMSという兵器相手に、ですか」
「ああ。降伏してないところを見ると、MSを持たないわが国にとっては希望の星だな」
 自衛隊より2か月早く地上でMSと交戦している連邦軍の情報によると、陸上の通常兵器では太刀打ちできないほどの装甲と機動性を持っていることが分かっている。機動性という面では航空機には劣るが、レーダーの無効化されるミノフスキー粒子散布下において、誘導のきかないミサイルを当てるなど至難の業だ。
 戦闘機や戦車でMSを撃墜した例は稀にあるが、ほとんどが圧倒的な物量を生かした「数」という攻撃による撃墜がほとんどで、余程の戦力集中が必要であることは証明されている。
 戦力対比でジオン公国軍よりさらに劣る自衛隊には、方法は不明でもMSに対抗しうる力を持つ部隊の存在は、まさに唯一の希望と言える。
「そこで、南西方面隊司令部は久米島を拠点として海自・空自による第一次防衛線の構築を決定。この[わかさ]を旗艦とする第二航空艦隊も、我々第二飛行隊、第四飛行隊、第六飛行隊、第二攻撃隊(航空艦隊直属の対艦攻撃隊)とともに第一次防衛線に参加するため、現在移動中というわけだ」
 一息に締めくくって、高橋はぬるくなってきたコーヒーをすすった。

「どうだ? 初陣を生き残った感想は」
 しばらくの沈黙を打ち破り、高橋が静かに尋ねた。
「とにかく、怖かった。・・・・・・それしか、思いだせないです」
 一言ずつ言葉を絞りだして、橘はぎゅっと目をつむった。
「スクランブルがかかった時から、頭も体も動かなくて。・・・・・・隊長の声がなければ死んでました」
 一旦言葉を切り、ふるえる手でコーヒーをすする。
「隊長の言葉で体は動くようになったんですけど、頭は『怖い』としか考えられなくて、体が反応するまま飛んでたら生き残れました」
「どうやら優秀な教官に叩きこまれたようだな」
 静かな声に橘が目を開くと、高橋はどこか遠くをみる目をしていた。
「戦闘前にも言ったが・・・・・・腕がいい奴も頭がいい奴も、初陣に立てば瞬く間に恐怖に塗りこめられる。なめてかかった奴、乗り越えようとした奴、自分の飛び方を忘れた奴はみんな死んでいった」
 橘は、高橋の初空戦が三年前の小笠原戦役(西太平洋紛争)だったことをふと思い出した。
 第二飛行隊を含む三個遊撃飛行隊と一個中隊規模の航空隊が派遣され、連邦軍も次々に新兵器を投入。一か月近くに渡る戦闘で双方ともに三割を超える損耗率を弾きだし、自衛隊と連邦軍との亀裂がさらに広がった事件だ。
「俺もその中の一人だった。接近警報は聞こえるが、頭は怖い怖いと叫び、体は全く動かない。見る間に隣を飛んでた同期が墜ちた」

 多弾頭遠距離ミサイルに食われたのだろう。
 内部に数十発の小型ミサイルを積んだ大型ミサイルに高度なステルス性を持たせ、敵機のレーダー圏外で発射。敵機の直近に迫ったところで小型ミサイルを放出し、散開しきれない敵部隊を一網打尽に打ち取ることを目的として連邦空軍が開発したミサイルだ。
 当時は[はやぶさ]の配備が追いつかず、優先配備されていた特務航空集団でも、新米も含むほとんどのパイロットは旧式機のFN-42[おおわし]のカスタム機を使用していた。第二次極東戦争を生き残り、二度の近代化改修を経て今なお現役で飛び続けている[おおわし]だが、レーダーの探知距離やミサイルの射程距離が短い遠距離空戦に不向きな機体で、なおかつ実戦経験のない新米パイロットが多数投入されたことが、想定外の損耗率に繋がったとされている。

「幸運か偶然か、その時不意に教官の言葉が聞こえてな」
 高橋はコーヒーをすすり、文章をそらんじるように目を閉じた。
「――俺が叩き込んだのは貴様らを生き残らせる飛び方だ。無駄死したくなければ体が反応するまま飛べ――
 教官の言葉にすがりついて、とにかく勝手に反応する体に任せてたら、いつの間にか戦闘が終わっていた」
 前戦争を生き抜いた数多くのエースが散った一か月余りの戦闘で、高橋は[おおわし]を駆って連邦空軍の最新鋭機五機を含む八機を撃墜。
戦役中、一発の被弾もなかった高橋の戦技飛行は高く評価され、機体に残された飛行データは空自の訓練用シミュレーターで再現、教材として利用されている。
 若手パイロットからの憧憬と尊敬を知ってか知らずか、高橋は淡々と続けた。
「戦争は始まったばかりだ。俺もいつ墜とされるかわからない。だが、俺は今まで体が知ってる俺自身の飛び方を信じて飛んできた。橘も生き残りたかったら、初陣で感じた恐怖を忘れず、自分の飛び方のみを信じて飛べ」
 話は終わったとばかりに、高橋は残ったコーヒーをあおった。
 橘はあこがれの先輩の独白を、己への戒めに一字一句胸に収め、ただ一言つぶやいた。
「了解」

 ――開戦の夜は、波音とともに更けていった――


同日 深夜 第二東京都某所

「以上、現時点で“計画”は順調に進行しております」
 国内で一、二を争う超高層ビルの最上階。
 三六〇度、四隅以外継ぎ目のない防弾アクリル製の窓に囲まれた執務室は、わが身が闇夜を浮遊しているかのような錯覚を覚えさせる。
 世界有数の不夜城の明かりを背に、日本自治国首相と同じ特注の椅子に腰掛け、執務机のモニタを眺める男が目線をそらさず口を開く。
「“宇宙人ども”はうまく乗ってくれたようだな」
 無表情な硬い声が暗い室内に響き、男の前に立つ漆黒の“影”が間髪入れず応える。
「は。ハワイのモグラも“協定”通り沈黙を守っています」
 “影”の言葉に「フッ」と嘲笑った男は、椅子を回し窓際に立ちあがった。
「ご苦労だった。下がりたまえ」
 不夜城の光に目を落とし、男がポツリとつぶやく。
 「失礼します」と挙手敬礼する“影”を乗せた床が文字通り『下がって』いくと、男は口元を醜く吊り上げた。
「楽しい楽しいショータイムの始まりだ。 さあ、どう変わるかな、この国は」

 低く発した笑い声は、闇に吸い込まれるように暗い夜空へ消えていった・・・・・・



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