機動戦士ガンダム 「蒼き天地を翔けて」〜もう一つの一年戦争〜


序章


 宇宙世紀0079、地球から最も遠いコロニー群、サイド3がジオン公国を名乗り地球連邦政府に独立戦争を仕掛けた。
 開戦から一月の間に人類の半数以上を死に至らしめた、人類史上初の宇宙戦争は、短期決戦を目論んでいたジオン公国軍首脳部の思惑を外れ、長期戦による泥沼化への兆しが見え始めた。
あろうことか人口の大部分を失った国家の、ひとりの将軍の言葉によって。

 3月1日。
 この日ジオン軍は史上最大の侵攻作戦である「地球降下作戦」を開始。
 宇宙において圧倒的な戦闘能力を見せ付けた新兵器・MS(Mobile Space Utility Instrument Tactical:戦術汎用宇宙機器)や、 ミノフスキー粒子を使用する新戦術によって、地上においても破竹の快進撃を続け、一月で南米を除く四大陸の中枢地域を占領するに至った。
 開戦から三ヶ月、戦線が膠着状態に陥りはじめた頃、ジオン公国が占領する東アジアで新たな作戦が動き出そうとしていた。

 4月25日、上海基地。
 一ヶ月前まで連邦海軍のものだった上海基地は現在、ジオン公国軍極東特殊攻撃師団の拠点基地となっていた。
 旧世紀の上海市の長江を挟んだ東側、旧世紀の浦東国際空港を中心として東半分全域を使用した基地の司令部区画に作戦会議室がある。
 ここに今、極東特殊攻撃師団の幹部連中が集合し、このたび行われる作戦の最終会議が行われていた。

「…以上で本作戦の説明を終わります。何か質問は?」
 一時間ほどひたすら話し続けた川野理沙少佐は、ここでふと顔を上げ目の前に居並ぶ将校たちを、「文句あるか」と言わんばかりの目付きで睨みつけた。
 絶対的な兵力の少なさを考えると、若干の無理が見えるが、総合輸送隊が抱える難問を除けば問題は無い、と総合輸送隊司令官・村雨譲治中佐は思った。
 そもそも正式に総帥府の認可を受け、作戦の開始日時まで具体的に決定されている命令に異議を挟んだとしても時間の無駄であるし、 「鬼参謀」として恐れられる彼女に文句が言える将校は一人しか居ない。
 そう思いあたりを見渡すと、一人の女性士官が手を挙げるのが見えた。

「異議があります」
 凛とした声に「あちゃぁ」という声がどこかから漏れた。
その場に居る将校全員は、これで会議がもう一時間延びるに違いないと覚悟を決めた。
 マリア・キリサキ中尉。神秘的な美しさを持つ外見と冷淡な口調・行動から「慈悲なき女神」とあだ名され、現在師団内で川野に異議が挟める唯一の人物だ。

「何です?キリサキ中尉」
 川野の目がさらに鋭くなる。しかし、その目と向かい合うキリサキに怯む様子はない。
「少佐がお立てになった作戦なら、第一次侵攻は成功するでしょう。しかし、世界的に物資が不足している状況下で第二次侵攻までに我々別働隊に、迅速に物資が補給されるとは思われないのですが?」
「それは、私に答えられるものではないわね。村雨中佐、いかがです?」
 川野の言葉に、一斉に将校たちが村雨を見た。背中に冷や汗が流れるのを感じる。
「物資量は充分にあります。しかし、どこの部隊でもそうである様に、人手も輸送手段も不足しており、現状では最善を尽くすとしか申し上げられません」

 この問題は2日前から総合輸送隊が抱える最大の懸案となっていたが、未だに解決の手段が見つからないのだ。

「ということは、ここに記された期日までの補給は可能なのでしょうか?」
 キリサキの丁寧だが容赦の無い質問に、小柄な村雨は母親にしかられている子供のような心境になってきた。
「先ほども申しましたとおり最善は尽くしますが、一日から二日の遅れが出る可能性はあります」
「では、わたくしは中佐の確約が得られない限り、この作戦への参加は辞退させていただきますわ」
 キリサキの言葉に会議室全体にどよめきが起こった。
 総帥府から正式な認可を受けた作戦が直前で中止されるなど前代未聞だ。

「静かにしなさい!発言があるなら挙手をすること!」
 川野が学校の先生のごとく一喝した途端、室内が静まり返り、今まで沈黙を保ってきた師団長・王威風大佐がおもむろに口を開く。
「中佐、何が問題か述べてくれないかね。非常に重大な問題だ。中尉が言ってくれなければ大変なことになっていただろう」

 村雨は手元の資料から一冊の冊子を取り出し、ページをめくりつつ説明を始める。
「南方侵攻部隊については特に問題はなく、先の説明どおり補給が行えます。
 北方侵攻部隊は、ウラジオストクまでの鉄道輸送は事故がない限り予定通り進められますが、ウラジオストクから補給ポイントへの搬送が最大で4日遅れる可能性があります。
 これは連邦軍が遺していったホバー輸送艇10隻をフル活用した際の想定です」
 会議室に居る将校からうなり声があがった。無表情なキリサキ以外。

「よくそんな重大なことを今まで黙っていましたね。輸送作戦の内容は一週間も前にお伝えしたはずですよ?」
 美しい眉をひそめながら、「鬼参謀」川野が村雨に詰め寄った。村雨はさらに身を縮めた。
「も、申し訳ありません。総帥府から回ってきた書類のミスが2日前に見つかったもので……」
 村雨の苦しい言い訳に、川野はため息をついて着席する。

 会議室の空気が気まずくなってきた。

「もっと補給の日程を早めることは出来ないのですか?」
 MSパイロット中最もベテランの義勇兵、楊健民中尉が遠慮がちに質問してきた。
「本国からのコンテナ投下による補給は、日時が厳密に決定しているのでこれ以上の変更は出来ません」

 今度は義勇兵最高階級の鷹野義将少佐が口を開く。
「アジア方面軍から何機かガウ攻撃空母が支給されているはずです。それは使えないのですか?」
「確かに3月30日にガウが三機支給され、この上海に一機、台北に二機配置しています。北方にガウを回すことは出来ますが、ご存知の通りガウは積載量が多い分速度が遅く機動性がありません。制空圏が満足に確保されてない空域を飛べば、撃墜される可能性があります」
 うーむ、と全員がうなり声を上げた。

 しばらく考え込んでいた王司令がふと声を発した。
「鷹野少佐、第一次作戦終了後に第1中隊のド・ダイYS爆撃機はウラジオストクに居るはずだな」
「はい、作戦通りならカンザスの上で待機中です。それがどう…あっ」
 鷹野の様子に王司令がニヤッと笑った。その顔を見て村雨もひらめいた。
「ガウの代わりにド・ダイを使うのですね!」
「そのとおりだ少佐。どうかね中佐」
「はっ、ド・ダイなら積載量が多く速度も速いので、シミュレーションしてみる価値はあります」
「シミュレーションはどれくらいかかる」
「30分いただければ」
「よし、会議は一旦中断、40分後に再開する」

 40分後、すでに着席した将校に遅れて村雨が部下の佐塚真希大尉をつれて会議室に駆け込んできた。
 久々のマラソンで疲れ果てた村雨に代わり、人の多さに若干緊張気味の佐塚が説明を開始する。
「ド・ダイによるシミュレーションを行ったところ、期日中に補給が完了できることが判明致しました。
後は鷹野少佐の判断次第ですが…」
「私のほうは問題ない。逆に有効活用してくれるなら大歓迎だよ」

 ようやく息を整えた村雨が鷹野と頷きあい、桐咲に向き直った。
「というわけで、確実に物資を期日内に搬送することが出来ます。これでどうでしょうか、キリサキ中尉」
 村雨の言葉にキリサキはかすかに微笑んだ。
「結構ですわ。川野少佐、異議を取り下げます」

 会議室にホッとした空気が流れた。

「ほかに意見はないですね」
「異議なし!」
 MS中隊長の木村祥平大尉が即座に答えた。他の部隊指揮官からも同様の返事が返ってきた。

「では、以上を持って本日の作戦会議は終了する。今作戦での諸君らの健闘を期待する!」
 王司令が立ち上がって会議の終了を告げたのは、会議開始から3時間後のことであった。

「鷹野少佐、有難うございました。おかげで助かりました」
 会議終了後、村雨は席を立った鷹野に駆け寄り、土下座する勢いで頭を下げた。
 上官に頭を下げられた鷹野は困惑した顔で、
「ち、中佐、顔を上げてください。私より中佐の方が年上で何よりも上官なのですから、私に頭を下げたら部下に示しがつきませんよ」
「あ、これは失礼した。つい、会社にいた頃の癖で」
「会社といってもその前は日本の自衛隊にいたのでしょう?それと同じじゃないですか」
「自衛隊時代から部下の前でふんぞり返るより、こっちの方が性に合っていたものでね。
 部下というより同じ仕事をする仲間としてみているので、あまり階級なんて気にしてないんですよ」
 照れくさそうに頭をかきながらハハハと笑う村雨に、隣にいた佐塚が呆れた口調でいった。
「ハハハ、じゃありませんよ。そんなことだから、自衛隊のときから『下町の零細企業』ってバカにされるんですよ」
 確かに『零細企業』は酷いな、と鷹野は思った。

「そんなに嫌ならこんなところで大声で言うなよ。それに安月給で毎日汗水たらして働く人々に失礼じゃないか」
「そんな問題じゃありません!それに中佐の方が失礼です!」

 突如はじまった漫才のような喧嘩に周囲の将兵から苦笑が漏れた。

「それみろ、笑われたじゃないか。大体、君達は普段は文句一つ言わず楽しそうじゃないか」
「私だって今更中佐のやり方に文句をつけるつもりはありません。
 ただ、ほどほどにしないとまた今日みたいな事になると言ってるんです」
「そもそもそれだって、君が二日前に総帥府のミスを指摘してきたからだろ。
 もっと早くわかっていたらこんなことにはならなかった」
「な、私が悪いって言うんですか!?総帥府から来た書類をロクに確認もせずに私に手渡したのはどこのどなたでしたっけ!?」

 もはや鷹野少佐などそっちのけで睨み合う二人の間に終止符が打たれた。
「喧嘩するほど仲が良いというが、こんなところで長々と声を張り上げるのはよくないと思うぞ」

 鷹野は初めて人の身体が2mくらい飛び上がるのをみた。

「わわ、王司令!お見苦しいところをお見せし、申し訳ありませんでした!」
 村雨はビシッと音が鳴るような敬礼をする。

「いやいや、気にすることはない。兵たちを部下としてではなく、仲間としてみるその考え、私も同意見だ。
 同じ考えのものにあえて嬉しいよ」
「王司令にそう言って頂けるとは、光栄であります!」

 会議室を出て行く王司令を直立不動で見送る村雨の横で、川野が佐塚に声をかけた。
「似たような上官を持って、あなたも苦労するわね」
「もう慣れましたから」
 川野のささやきに佐塚はにこやかに答えた。
「では、今度どうしたら慣れるか教えてください。この師団はそういう人ばかりですから」
 川野はそういい残し会議室を去っていった。

「それじゃ、鷹野少佐。後でこちらから二人ほど士官を向かわせますので、当日はその士官の指示に従ってください」
 早くも頭を切り替えた村雨は鷹野に向き直った。
「あ、あぁはい、わかりました。今後、何か問題が起こったら遠慮なく航空隊に言ってください。微力ながらもお手伝いします」
「重ね重ね有難うございます。ではよろしくお願いします」

 鷹野と別れ輸送司令室に帰る途中、村雨は周囲に誰もいないのを確認してから口を開いた。
「さっきはすまんな。つい君に押し付けてしまった」
「こちらこそすみません。このところ忙しくてストレスが溜まってたので……言い過ぎました」
 しばし、二人の間に沈黙が訪れた。
 と、佐塚が思い出したように口を開いた。
「それで、誰を派遣します?」
「う〜ん、確か第2中隊は北方担当だったな?」

 第2中隊の隊長は、自衛隊時代からの現場担当のベテラン、林正則大尉である。

「はい。明日、鷹野少佐やキリサキ中尉などの北方部隊をつれて出発予定です」
「では、本部の春麗君を第2中隊に派遣しよう。私はこれから林君に話をつけてくるから、君は私の代わりに春麗君に伝えてくれ。命令書は後で書く」

 本部要員の張春麗中尉は総合輸送隊で最も若い士官の一人だ。

「わかりました。でも、春麗ひとりで大丈夫でしょうか?」

 春麗はジオン国内でも有数の資産家の娘で、ジオン国防大を優秀な成績で卒業し総合輸送隊に配属されたが、 物静かでおしとやかな性格だったため、教育係だった士官が現場には向かないと考え、本部の管制要員に推薦されたのだ。

「たしかに彼女はおとなしすぎるが、優秀だしかわいいから、きっと上手くやってくれる。彼女にも良い経験になるさ」
「優秀なのは認めますが、かわいさが関係あるんですか?」
 別れ際、佐塚が不思議そうに聞くと、村雨は明るく笑って答えた。

「輸送部隊にまず必要なのは愛想だからな。じゃ、頼んだぞ」
 ポン、と肩を叩いて駆け出す村雨を佐塚はため息をついて見送った。

 しばらく走って疲れたのか、村雨は基地の中庭の芝生にごろんと横になった。
コロニー落下の影響でできた雲の合間に蒼空がのぞく。

「やっぱり、指揮官の仕事は辛いな……」

 不意に故郷に暮らしているはずの両親の姿が雲に浮かんだ。職業軍人になって以来、一度も会っていない。
「20年連れ添った同僚にすら心の内を話せないとは……」

 ――極東特殊攻撃師団に所属する半数以上の将兵たちの祖国への侵攻は五日後に迫っていた……